筑紫神社 祭神 祭神について ①
『釈日本紀』所引『筑後国風土記』逸文では、筑後国は元は筑前国と合わせて1つの国(筑紫国。つくしのくに)だったと記している。また「筑紫」の由来として、2国の間の坂が険しく鞍が擦り切れるため「鞍尽くし」といった説、2国の境に荒ぶる神が居て往来の人が命を落とす「命尽くし」の神といったが筑紫君(つくしのきみ)・肥君(ひのきみ)の祭祀で治まったという説、前説における多数の死者の弔いのため棺を作ったところ山の木々が無くなったという「木尽くし」による説の3説を載せるが、第2説と筑紫神社祭神の筑紫神との関連が指摘される。なお本居宣長は、『古事記伝』において「命尽くし」の由来説を有力視する。これらの伝説が筑紫神社の成立に直接関わるかは明らかでないが、中でも筑紫君・肥君が祀ったという所伝が特に注目されている。当地は筑紫君の勢力圏内であるが、肥君が本拠地の九州中央部から北九州に進出したのは6世紀中頃の磐井(いわい)の乱が契機で、この所伝にはその進出以後の祭祀関係の反映が指摘される。