阿沼美神社(味酒町) 歴史
社伝によれば、越智守興(おち もりおき)が天神天皇3年(664年)に創建したとされる。味耳命の後裔である久米氏の氏神でもあったとされる。もとは現在松山城の建つ勝山(かつやま)の頂上にあり、「勝山三島大明神」とも称していた。慶長7年(1602年)加藤嘉明(かとう よしあきら/よしあき)が松山城を築く際、味酒村に移されたことから「味酒神社」と称するようになった。
その後も歴代松山藩主から篤く崇敬された。当時、味酒神社の行宮所は堀之内の西ノ馬場と城山東麓の杉谷にあり、それぞれ松山城の裏鬼門・表鬼門とされていた。また、通りを南に一つ隔てた曹洞宗江勝山雲祥寺(うんしょうじ)は、明治4年(1871年)の神仏分離令が出るまで、阿沼美神社の別当寺として社僧が仕えていたとされる。
元禄14年(1701年)に社殿を改造。
明治3年(1870年)、式内社・阿沼美神社とされて近代社格制度において県社に列格し、社号を旧称の「阿沼美神社」に復した。
昭和20年(1945年)7月の松山空襲で、社殿など数多くの建物が焼失し、昭和32年(1957年)8月、鉄筋コンクリートの社殿が完成した。