武国凝別皇子 後裔氏族
武国凝別皇子について、『日本書紀』では伊予国の御村別(みむらのわけ/みむらわけ)の祖と記されている。一方『先代旧事本紀』「天皇本紀」では、武国凝別命を筑紫水間君(つくしのみぬまのきみ/つくしのみずまのきみ)の祖とし、武国皇別命を伊予御城別・添御枝君の祖と記している。
『日本三代実録』貞観8年(866年)10月27日条によれば、武国凝別皇子の後裔を称する讃岐国那珂郡(なかぐん)・多度郡(たどぐん)の因支首秋主(いなきのおびと あきぬし)ほか同族8人が、「和気公(わけのきみ:和気氏)」姓を賜り改姓したという。この改姓は貞観9年(867年)2月16日付の「讃岐国司解」によっても知られる。
『和気系図』では武国凝別皇子から御村別・因支首(いなきのおびと)・和気公に続く系図が載せられており、そのうち前述の水別命が伊予の別公の系統、阿加佐乃別命が讃岐の因支首(のち和気公)の系統と見られている。そして後者の讃岐和気公からは、円珍(えんちん。智証大師(ちしょうだいし)、俗名を和気公広雄(わけのきみ ひろお))が輩出されている。