伊曽乃神社 歴史 概史
文献では、古く『続日本紀』天平神護2年(766年)条において、「伊曽乃神」に従四位下の神階を授けるとともに神戸5烟を充てる旨が記されている。『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「伊曽乃神」には神戸として伊与国から15戸が充てられていたが、そのうち10戸は天平神護元年10月の符、5戸は天平神護2年12月3日の符によるとしている。
その後の国史では、
貞観(じょうがん)8年(866年)に正四位下、
貞観12年(870年)に正四位上、
貞観17年(875年)に従三位に昇叙された旨が記されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では伊予国新居郡に「伊曽乃神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
永治(えいじ)元年(1141年)には正一位に叙され、崇徳天皇より勅額を賜ったという。
天正13年(1585年)には豊臣秀吉の四国征伐により社殿・社宝等兵火にかかって一切焼失し、難を避けて土佐国へ遷座。慶長11年(1606年)旧地に復座する。
近代社格制度の発足に際しては、祭神不詳として官社の認可を受けられず、伊予国第一県社とされる。昭和15年(1940年)長年の昇格運動が実り、国幣中社に昇格した。
近年は「ISOの神社」の語呂合わせからISO(国際標準化機構)取得・永続の祈願を行っている。