城山神社(坂出市) 歴史 概史
六国史では、貞観年間に当社に対する神階授与が記載されており、古くから朝廷からも崇敬されていた。平安時代中期の『延喜式』神名帳では讃岐国 阿野郡(あやぐん)に「城山神社 名神大」と記載され、讃岐国では田村神社(たむらじんじゃ)・粟井神社(あわいじんじゃ)と並んで名神大社に列している。このように崇敬を受けたのは麓に讃岐国府が置かれていたことも関係していたと見られ、府内鎮護・国衙守護の性格を持っていたとも推測されている。
仁和4年(888年)、讃岐国司として国府にいた菅原道真は、当社で降雨祈願を行った。祈願は成功し豊作をもたらしたという。
中世の様子は不明であるが次第に衰退したと見られ、その後貞治(じょうじ)元年(1362年)の細川頼之(ほそかわ よりゆき)・清氏(きようじ)の合戦の兵火で焼失した。そのため神体のみが印鑰の地に移されて小祠が建てられ、のち現在地に移された。
明治維新後、近代社格制度において県社に列した。