大和大国魂神社 由緒 ①

 


当神社の創建年代は詳しく分かっていない。『日本の神々 -神社と聖地- 3 摂津・河内・和泉・淡路』によれば、当神社は大和朝廷の勢力が淡路に及んだとき、その支配の安泰を願って大和国山辺郡(やまべぐん)の大和坐大国魂神社(やまとにいます おおくにたまじんじゃ。現在の大和神社(おおやまとじんじゃ))を勧請した、と考えられているのだと言う。さらに同書では創建理由に異説があることに触れ、大和神社の最初の祭主であった市磯長尾市(いちしのながおち)の出自が九州の海人族(かいじんぞく、あまぞく)であった関係により、大和神社を海人族の住む淡路島へ特別に勧請したと言う説、淡路の海人の槁根津彦(さおねつひこ)が倭直(やまとのあたい)の祖と言われることから三原郡の国魂神を大和大国魂神と称したとする説、淡路が大和政権樹立の最初の寄留地であったからとする説を紹介している。『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、大和朝廷の支配と係わって勧請の時期を5世紀とする説があることを紹介している。



日本文徳天皇実録仁寿元年(851年)12月5日の条によれば、詔によって当神社が官社に列せられている。さらに『日本三代実録貞観元年(859年)1月27日の条には、神階二位勲三等から一位昇叙されたことが記載されている。



延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大とされた。また、『延喜式』の「主税式」においても祭祀料800束(米16に相当)を国家から受けている。『延喜主税式』によれば、当時国家の正税から祭祀料を受けていたのは出羽国鳥海山大物忌神社(ちょうかいさんおおものいみじんじゃ)陸奥国塩竈神社(しおがまじんじゃ)伊豆国三嶋大社(みしまたいしゃ)と他に3社しかないことから、当神社が国家から特別の扱いを受けていたことが覗える。



当神社は淡路国の二宮と称されるが、その初見は永万元年(1165年)6月の『神祇官諸社年貢注文』にある「淡路国二宮〈炭五十籠薪百束〉」の記述であると『中世諸国一宮制の基礎的研究』では述べている。また同書では、「護国寺文書」の一つである元久2年(1205年)4月の『淡路国司庁宣』に「可令早引募一・二宮法華桜両会舞楽料田荒野拾町事」と見え、法華・桜両会を催すのに国衙から舞楽料田10町が下されていることから、国衙が当神社の祭礼を管轄していたと考察している。社前の由緒石碑では、神を祭り地元の民衆が桜花を賞したことで「二ノ宮の桜祭」として一般に知られることになり、後に淡路国二宮と仰がれて公武の崇敬浅からぬようになった、と述べている。往古、この桜会は3月10日に行われていたが、『日本の神々 -神社と聖地- 3 摂津・河内・和泉・淡路』によれば、いつの頃からか廃絶したのだと言う。