須佐神社(有田市) 歴史 概史 古代
文献上の初見は『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒で、紀伊国の「須佐命神」に対して10戸の神戸(神社付属の民戸)が給されている。関連して、承平年間(じょうへい/しょうへい。931年-938年)頃の『和名類聚抄』では紀伊国名草郡に「須佐神戸」が見えるが、これは当社の神戸の意味であるとして、有田郡の狭小さのため名草郡に設けられたとされる。この神戸は、伊太祁曽神社に接する和歌山市 口須佐(くちずさ)・奥須佐(おくずさ)周辺に比定される。かつてはこの口須佐に旧無格社の須佐神社が存在した(口須佐字上円満寺)。『続風土記』によるとこの須佐神社は須佐神戸に当社を勧請したものであったというが、明治42年(1909年)7月に伊太祁曽神社境内末社の祇園神社に合祀された。
神階としては、貞観元年(859年)に従五位上に昇った。また延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では紀伊国名草郡に「須佐神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。『紀伊国神名帳』では天神として「従一位 須佐大神」と記載されている。
承平年間(931年-938年)頃の『和名類聚抄』では、前記のように紀伊国名草郡に「須佐神戸」が、紀伊国在田郡に「須佐郷」が見え、それぞれ当社関連の地名とされる。