須佐神社(有田市) 祭神 祭神について
社名に見えるように、当社はスサノオ(素戔嗚尊/須佐之男命)を祀る神社であるとされる。古くは大同元年(806年)に「須佐命神」、貞観元年(859年)に「須佐神」の神名として見えるが、「スサノオ」とは地名「須佐」を冠して「須佐の男」を意味すると考えられている。
『古事記』の「根の堅州国」(ねのかたすくに)訪問の段では、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ。大国主)が「須佐能男命の坐します根の堅洲国」に参向するに際して、まず「木国」(きのくに。紀伊国の古名)を目指したと記載されている。すなわち、紀伊は根の堅洲国(根の国。ねのくに)への入り口として想定されており、根の国に坐す「須佐能男命」と入り口の紀伊の「須佐神」(当社祭神)との関係性が見られる。松前健(まつまえ たけし)は、これと当社の海神的性格とを併せ見て、全国に展開するスサノオ信仰の原郷が当社であり、海の彼方の常世国(とこよのくに)としての根の国から豊穣をもたらすため、時期を定めて来訪するのが本来の神格であろうと推測している。
そのほか『日本書紀』神代紀の宝剣出現段(神代上第8段)第5の一書では、スサノオの御子神として、五十猛神(イソタケル/イタケル)・大屋津姫命(オオヤツヒメ)・抓津姫命(ツマツヒメ)の記載がある。これら3神は紀伊国に木種をもたらした神であるといい、紀伊では「伊太祁曽三神」と総称され、それぞれ、
伊太祁曽神社
(いたきそじんじゃ。和歌山市伊太祈曽)、
大屋都姫神社
(おおやつひめじんじゃ。和歌山市宇田森)、
都麻都姫神社
(つまつひめじんじゃ。論社3社)
に祀られている。特に伊太祁曽神社と当社との関係は深く、当社の神戸は伊太祁曽神社に隣接してあったとされるほか、祭事では伊太祁曽神社の社人の参拝があったといい、室町時代の史料では「伊曽太神ママの末社なり」の記載も見える。
当社は古くから漁業の神や船材としての樹木を供給する樹木神として漁猟や航海に携わる紀伊の海人(あま)から崇敬を受けたという。また『紀伊続風土記』(きいぞくふどき/きいしょくふどき)によれば、近世には剣難除けの神として信仰され、剣難除の神符を授与する古例があったという。