鳴神社 祭神 ②
祭神2柱は水戸の神(港の神)である。古くは延享(えんきょう)3年(1746年)の『南紀神社録』において、速秋津彦・速秋津姫の2神を祭神とすると見える。しかしこれ以前の『南紀名勝志』には未詳とあり、江戸時代初期には祭神が未詳の状態であったと見られている。
その後『紀伊続風土記』では、『延喜式』での鳴神社祭神が一座であることから速秋津彦・速秋津姫の2神祭神説を疑問視し、天太玉命を祭神とする説を掲げた。この推測は当地周辺を『倭名類聚抄』に見える「忌部郷」の地に比定する説に基づくもので、同記では当地に居住した忌部氏(紀伊忌部)がその祖神・天太玉命を祀ったかという。加えて同記では、荒廃していた鳴神社が享保4年(1719年)に再興された際、速秋津彦・速秋津姫の2神に考定されたかという。
天太玉命説に基づき、平成8年(1996年)に忌部氏の本拠地である天太玉命神社(あめのふとたまのみことじんじゃ。奈良県橿原市 忌部町(いんべちょう))から改めて天太玉命の分霊が勧請され、本殿に合祀された。