都麻都比売神社 考証

 


式内社「都麻都比売神社」の比定は、現在も定かでない。古くは『紀伊国名所図会』や『南紀神社録』(延享3年(1746年))では山東の都麻津姫神社(吉礼。きれ)に比定する。



また『紀伊続風土記』では、『南紀神社録』等でいわれる山東の都麻津姫神社とは本来「吉礼津比売命」(きれつひめのみこと)を祀るとしている。吉礼津比売命は『紀伊国神名帳』に「従五位下 吉礼津姫神」として見える。加えて『続風土記』では、「都麻都比売神社」として平尾の妻大明神社(つまだいみょうじんしゃ。現・都麻都姫神社)をあてる説を挙げる。



これらの説の一方、日前神宮・國懸神宮と和佐荘(わさのしょう)との間で起こった水論日前神宮・國懸神宮と高大明神の用水相論)での永享(えいきょう)5年(1433年)の言上状では、高積神社(たかつみじんじゃ)が古くは日前宮の地にあったといい、のちに鎮座地を移って山東、のち和佐山へと遷座したとする伝を載せている。この伝には『続日本紀』大宝2年(702年)の記事とも一致が見られることから、『続風土記』では高積神社が都麻都比売神社である可能性が高いとしている。