都麻都比売神社 歴史 概史
史料の初見は『続日本紀』大宝2年(702年)の記事で、伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売3社を分遷したという記事である。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、紀伊国の「都麻頭比売神」に対して13戸が給されている。関連して、承平(じょうへい、しょうへい)年間(931年-938年)頃の『倭名類聚抄』では紀伊国名草郡に「津麻(津摩)郷」が見えるが、これは「津麻神戸」を意味するとされる。
神階としては、貞観元年(859年)に伊太祁曽神・大屋都比売神とともに「神都摩都比売神」として従四位下に昇った。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では紀伊国名草郡に「都麻都比売神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。『紀伊国神名帳』では天神として「従四位上 都摩都比売大神」と記載されており、正一位に昇った伊太祁曽大神とは神階が開いた。なお、同帳では関連して「従四位下 妻都比咩大神」の記載も見える。
以降の歴史は明らかでなく、上記の神社がいずれにあたるかは諸説がある。