大屋都姫神社 歴史 創建

 


創建は不詳。社伝によれば、当初は元は日前(ひのくま)・國懸(くにかかす)両神宮(和歌山市秋月)の地に祀られていたが、垂仁天皇16年に両神宮に社地を譲って山東の「亥の森」(いのもり。和歌山市伊太祁曽)へと遷座したという。その後『続日本紀』の記す大宝2年(702年)の伊太祁曽・大屋都比売・都麻都比売3社の分遷で、亥の森から現社地北方の古宮(和歌山市北野の御祓山上)の地に遷座、のち現在地に移転したと伝える。



また『続風土記』では、伊太祁曽三神が天浮橋(天上界の橋)からそれぞれの鎮座する地を選定して各所へ天降(あまくだ)ることとなったが、大屋都姫命は平田郷を選んで降臨、そこに宮殿を営んで鎮座することとなったとする別伝を載せる。



当社との関係は不明ながら、社地東方には弥生時代中期の環濠集落郡と見られる宇田森遺跡がある。