粒坐天照神社 由緒
日山(ひやま。白鷺山(しらさぎやま))山頂にて推古天皇2年(594年)の創祀と伝わる古社で、現在は中腹から山麓にかけてが社地となっている。社名の「粒(いいぼ)」は「揖保(いぼ)」の地名の語源とされる。粒坐天照神社は平安時代は『延喜式神名帳』で名神大社とされていた。
明治維新後に旧龍野藩(たつのはん)礼儀指南役・関口久宣(せきぐち ひさのぶ)が、国家神道のもと龍野府(龍野県)の鎮守とするために、旧主で知藩事(ちはんじ)の脇坂安斐(わきさか やすあや)の命によって神官に就き再興する。元兵庫県立姫路工業大学長で振動工学の権威であった関口久美(せきぐち ひさよし)は維新後新社家の四代目当主で兼任神官。現在もその子孫・縁家によって連綿と存続されている。
明治7年(1874年)郷社に列し、同15年に県社に昇格した。
氏子はたつの市龍野町のうちの揖保川(いぼがわ)右岸部(日山・龍野旧城下町一帯・北龍野)と同左岸部のうちの大道(だいどう)・富永(とみなが)・日飼(ひがい)・四箇(よっか)、揖西町(いっさいちょう)小神(おがみ)、揖保川町(いぼがわちょう)半田の3,300世帯。