海神社(神戸市) 歴史
社伝によると、神功皇后が三韓征伐からの帰途、当地の海上で暴風雨が起こって船が進めなくなったため、皇后が綿津見三神を祀ると暴風雨が治まり、その縁でこの地に綿津見三神を祀る社殿を建てたのが始まりという。『日本書紀』に記される廣田神社・生田神社・長田神社・住吉大社創建の記述とほぼ同様であるが、『日本書紀』の当該箇所に海神社に関する記述はない。
文献に現れる最も古い記述は、大同元年(806年)の『新抄格勅符抄』にある播磨明石垂水神に神封戸(じんふこ)10戸を寄進するという記述。 当所は海上交通の要地であることから、古くから海上鎮護の神として崇敬を受けた。 『延喜式神名帳』では「播磨国明石郡 海神社三座」と記載され、名神大社に列している。
中世以降、戦乱等のために社勢が衰えるが、天正11年(1587年)に豊臣秀吉が祈祷料として垂水郷山内の山林を寄進、江戸時代にも歴代明石藩主が篤く崇敬し、毎年2月に参拝するのを通例としていた。
江戸時代の初頭より「日向大明神」と呼ばれていたが、明治4年(1871年)に国幣中社に列格した際に「海神社」に復称した。明治30年(1897年)に官幣中社に昇格した。