小虫神社 歴史 平安時代以降

 

延喜式神名帳』では大虫神社とともに名神大社に列し、現存する『丹後国神名帳』には「従一位小虫明神」と記されている。



その後、大虫神社が池ケ成から現社地へ遷座するに際して、当神社も現在地へ遷座し、その時代は室町時代の初期というが、遷座の事情や経緯は不明である。現社地が属す温江は、古く『和名抄』に見える与謝郡 謁叡郷(あちえごう)の遺称地とされ、北接する明石(あけし)の一帯には蛭子山古墳(全長145m)に代表される大古墳や弥生から古墳時代前期に亘る住居跡が集中することから、古代丹後地方において最も開発の進んだ地帯であったとされ、丹波国から丹後の国府(現宮津市国分に置かれていた)へ至る官道(令制における山陰道)が通い、現社地付近からは大江山連峰を越えて由良川(ゆらがわ)筋へ連絡する枝道が分かるなど、古代交通上の要衝でもあった。



1873年明治6年)2月に豊岡県の村社とされた。同年12月から本殿を再建し、1877年(明治10年)に竣功、それと同時に字谷垣の村社 広垣神社(ひろがきじんじゃ。祭神火産霊命)と字木積の無格社 鬼人見神社(祭神大山祇命)を合祀した。戦後神社本庁に参加している。