摩氣神社 主な祭事 神幸祭 2日目 ②
角力は11社の氏子が参加する習いで、現在不参の4集落は竹井の者がその代役を務める形で古格を保っている。また練りに関しては、滑稽味を帯びたその様態から神との角力に伴うかつての負態(まけわざ)の名残とも思われるが、兵庫県の石上(いしがみ)神社に伝わる「なまずおさえ神事」とともに検討すべき伝承とされている。
神幸祭2日目の午後2時頃、氏子が俵や弓矢・的・床几(しょうぎ)・折櫃等を持参して参集する。先ず船阪の者が俵と折櫃を神輿に献じ、祝詞奏上の後に沙汰人を先頭に、仁江・船阪の一行が幣束(へいそく)・弓・的・俵・折櫃(おりびつ、おりうず)等を捧げ、宍人と大西の当番が鋤(すき)・馬鍬(まぐわ)を持ち、2頭の張子の牛がその後に続いて1列になって船阪庁の周りを3周するお千度が行われる。お千度が終わると仁江と船阪の稚児が神輿の前で幣束を振り(奉幣)、次いで木馬に騎乗、的持ちが掲げる的を矢で射る流鏑馬(やぶさめ)が行われる。流鏑馬が終わると神輿の還幸となる。
還幸は御旅所を後にした神輿を、竹井・仁江以外の者が篠山街道まで見送り、仁江の一行は仁江の公民館付近まで同行する。夕刻に神輿が摩氣神社に帰着すると、最後はこれを担いで激しく上下に揺すりながら拝殿の周りを1周し、神幸祭を終える。 なお、昭和37年(1962年)までは神輿を担いでの巡幸であったが、担ぎ手の減少により現在は台車に載せてこれを牽(ひ)く形となっている。