摩氣神社 周辺地域との関係

 


近世には、宮本である竹井村の他に近郷諸村の共同の氏神とされたため「摩気郷十一ヶ村の総鎮守」とも称されていた。



近世の村単位だと宮本の竹井村が篠田、摩気、上新江の3村に分かれていたように(上新江村は当神社祭礼に関する場合、更に今井、辻田の2村に分かれた)、他の集落も複数の村に分かれており、総鎮守とした村は都合19個村にも及んでいた。「十一ヶ村」の称には符合しないが、当社の氏子集落には別に村単位の氏神が合計11社あってそれらを当神社の末社として位置付けていた。そのことから、この場合の「十一ヶ村の総鎮守」とはその11社の上位に位する総氏神という意味である。また、「摩気郷」という郷名は史料に確認できないので地域的な通称と思われるが、祭祀圏が周辺村落に展開されていた点に極めて中世的な姿が認められることから中世に遡る広域名称であったことが想定できる。この地域が藩政時代にあって園部亀山両藩に分かれながらも藩政の枠を超えて共同で祭祀を担当していたこともその一証とされる。