月山神社 由緒 ④
江戸時代に入っても出羽三山は修験道の場として人々の信仰を集めた。元禄2年(1689年)には俳聖松尾芭蕉が出羽三山を訪れ、同年6月6日に月山へ登拝しており、紀行文『おくのほそ道』には月山を詠んだ 「雲の峯 いくつ崩れて 月の山」 の句が残されている。
明治元年(1868年)神仏分離令が出されると出羽三山は廃仏毀釈の激しい波に晒された。僧侶や山伏には還俗して神官となるものもいたが、仏法の衰微を憂いて自殺を図るものも出た。また多くの貴重な仏像、仏具、経巻が破壊によって失われたり、売り払われて散逸したりした。明治5年(1872年)には修験宗廃止令が出され、出羽三山の修験は途絶えるかと思われたが、その後、生き残った山伏達の努力によりその命脈を保つことになる。
このような混乱の中で出羽三山の神仏分離は進められ、明治7年(1874年)8月31日に当社は近代社格制度により国幣中社へ列せられ、さらに明治18年(1885年)4月22日に官幣中社、大正3年(1914年)1月4日には官幣大社に昇格されている。その後、第二次世界大戦の終戦に伴い近代社格制度が廃止されると、昭和23年(1948年)当社は神社本庁が包括する別表神社となった。
昭和29年(1954年)当社と出羽神社(いではじんじゃ)、湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)を併せた宗教法人として出羽三山神社(三神合祭殿)(でわさんざんじんじゃ/さんじんごうさいでん)が羽黒山に置かれている。