零羊崎神社(石巻市真野) 歴史 名神大社比定を巡る議論 ②
『封内風土記 巻之13』の湊村の条には、湊村の零羊崎神社についても記されている。それによれば、湊村の零羊崎神社は、現在、白山神社と呼ばれて豊玉彦命を祀っていること、牡鹿郡式内社の筆頭で往古は大社であったこと、湊七郷の鎮守となっていることを紹介している。さらに牧山大悲閣(観音堂)の記述では、その地が古の零羊崎神社の地で、仏僧がその地を奪い零羊崎神社の名を隠して牧山観音と号しているのだと記している。
上記の湊村の零羊崎神社と当社の間には、争いがあったことが『稲井町史』に書かれている。それによれば、修験者普明院家が牧山の白山宮を零羊崎神社であると主張したことに真野村の観寿院が激しく抗議、紛争は藩庁に持ち込まれた。明和5年(1768年)2月26日御召状により、3月3日に観寿院の法師が仙台評定所へ出頭、零羊崎神社の義につき普明院、牧山白山宮と真野零羊崎神社との関係について尋問を受けた。これに対し観寿院は、真野村が連年凶作続きで社殿の修復も困難になったため、昔より設備していた神輿を牧山白山宮へ一時預けた、故に神輿が元々は牧山のものではないと申し立てた。評定所もこれを認め、零羊崎神社を真野村の鎮守として祭祀するよう判定を申し渡し、観寿院の主張が首尾よく聞き届けられたのだと言う。