生島足島神社 歴史 概史

 


新抄格勅符抄大同元年(806年)牒によれば、当時の「生島足島神」には神戸として信濃国から1戸が充てられていた。



延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳には信濃国小県郡(ちいさがたぐん)に「生島足島神社二座 並名神大」と記載され、名神大社に列している。



生島足島神社には皇室や武将の崇敬が篤く、北条国時(ほうじょう くにとき)が社殿を営繕、真田昌幸(まさゆき)信之(のぶゆき)らの武将が神領を寄進し社殿を再建するなどの崇敬を表している。また、武田信玄上杉謙信との戦いに際し奉じた直筆の願文等が現在も「生島足島神社文書」(国の重要文化財)として残されている。同文書によると、中世以降は「下之郷大明神」「諏方法性大明神」「下之郷上下宮」等と呼称されていた。その後、社名は寛政11年(1799年)に京都吉田家によって「生島足島神社」と改称した。



明治維新後、明治23年(1890年)には近代社格制度において国幣中社に列した。