弟橘媛 記紀の弟橘媛(弟橘比売命) ①

 


『日本書紀』によれば、穂積氏(ほづみうじ)忍山宿禰(おしやま すくね)の娘。日本武尊との間に稚武彦王(わかたけひこのみこ)を儲ける。



さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。時の人は、その海を名づけて、馳水(はしるみず)といった。こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた。



千葉県 茂原市(もばらし)本納(ほんのう)には、玉浦(たまのうら。九十九里浜)に渡った日本武尊が、橘(たちばな)の木を媛の墓標としたことを由来としている橘樹神社(たちばなじんじゃ)がある。この神社延喜式内社で、上総五社の一つであり、上総国二宮であり、唯一の正史に記された弟橘媛を祀る神社である。この神社の由緒には「弟橘媛が尊に申し上げたことは、君公の佩(はい)せ給へる御劔は、むかし素戔嗚尊大蛇の尾より切出したまふ宝劔なれば、悪神龍御船を覆し、宝劔を奪んとして起こる所の暴風ならん、吾宝劔と君とにかわり、海中に入りて悪龍を退治し、君公と宝劔を安泰ならしめ、又天下後世の人をして渡海風波の難を救ひ、永々海中の守護神となるべし」とあり、神社は海上の守護神と仰がれている。東征の軍を率いて房総半島に渡った日本武尊のその後の行軍の道すじは、海路北上したとも、陸路香取海(かとりのうみ)に出たともされるが、陸路伝いに日本武尊の伝説と尊と弟橘媛を祭神とする神社が多い。