筑波山神社 概史 奈良時代から平安時代

 


奈良時代の『万葉集』には筑波の歌25首が載せられており、筑波山は常陸国を代表する山であったといわれる。また奈良時代末から平安時代初め頃には、法相宗僧の徳一(とくいつ)が筑波山寺(つくばさんじ)、のちの筑波山知足院中禅寺(ちそくいん ちゅうぜんじ)を開いた。これにより神仏習合が進み、筑波山は有数の修験道の道場に発展していく。この神仏習合の時代には「筑波両大権現(両部権現)」とも称されていた。



国史では、古くは弘仁14年(823年)に従五位下の筑波神を官社と為すという記事が見える。その後の神階叙位により、貞観13年(871年)に筑波男神は従三位、貞観16年(874年)に筑波女神は従四位上(または正四位下)まで上った。



延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では常陸国筑波郡に「筑波山神社二座 一座名神大 一座小」と記載され、筑波郡では唯一の式内社に列しているが、うち名神大社が筑波男神、小社が筑波女神とされる。その後、治承4年(1180年)には正一位に達したという。