生祀 日本における生祀

 


自己の霊魂を祀る生祀は、長命を得るため、あるいは死後に神となるために行われた。大国主命が自らの奇魂(くしみたま)幸魂(さきみたま)三諸山みもろやま。三輪山(みわやま))に祀った故事に由来するとされる。



自己の霊魂を祀った生祀の文献上で最も古い事例は、平安時代923年伊勢神宮の外宮の神官であった松木春彦(まつき  はるひこ。824年 - 924年)が、伊勢度会郡(わたらいぐん)尾部(おべ)で、石に自己の霊魂を鎮め、祀ったことである。江戸時代松平定信1797年、奥州白河城(しらかわじょう)に自分の生祀を成立した例がある。生祀は江戸時代に増えたが、それは中国思想の影響であろうという。江戸時代に、山崎闇斎(やまざき あんさい)儒教の礼式を参考に祭式を考案し、自らの霊魂を祀った。その生祀は1671年、京都の自邸の垂加霊社に成立したものである。これ以後も、神道家や平田派の国学者によって、それぞれ独自の祭式で自己の霊魂を祀った。



生祀の研究は加藤玄智かとう げんち。1873年 - 1965年)が有名である。加藤によれば判明している生祀は670あり、新しい生祀は1931年8月、北海道日高国浦河町に祀られた西忠義(にし ただよし。西義一(にし よしかず)の父のものである。



明治天皇の生祀は1876年明治9年)宮城県石巻港に、1893ね(明治26年)上伊那郡(かみいなぐん)小野村(おのむら)の矢彦神社(やひこじんじゃ)境内に、建立された。明治天皇、昭憲(しょうけん)皇太后の生祀は1887年(明治20年)および1904年(明治37年)に2箇所に、大正天皇の生祀は1911年(明治44年)北海道日高国門別村に、貞明皇后(ていめいこうごう)の生祀は1913年大正2年)広島県広瀬町に、秩父宮雍仁親王(ちちぶのみや やすひとしんのう)高松宮宣仁親王(たかまつみや のぶひとしんのう)の生祀は1924年(大正13年)姫路市同心町に成立した。



昭和天皇の生祀は1923年(大正12年)北海道十勝国本別村義経山上に、昭和天皇、香淳皇后(こうじゅんこうごう)の生祀は1928年(昭和3年)広島市広瀬町に成立した。