阿波命神社 境内

 


前述の『続日本後紀』承和7年(840年)9月23日の記事では、「伊豆国言」の中で次の記述がある。

 


“ 其嶋東北角、有新造神院、其中有壟、高五百許丈、基周八百許丈、其形如伏鉢、東方片岸有階四重、青黄赤白色沙次第敷之、其上有一閣室、高四許丈、次南海邊有二石室、各長十許丈、廣四許丈、高三許丈、其裏五色稜石、屏風立之、巖壁伐波、山川飛雲、其形微妙難名、其前懸夾纈軟障、即有美麗濱、以五色沙成修、次南傍有一礒、如立屏風、其色三分之二悉金色矣、眩曜之状不可敢記、云々 ” 

 


—『続日本後紀』承和7年9月23日条(抜粋)

 

 



このうち冒頭の「神院」が阿波命神社を指すとされており、「其中有壟」以下で記された神院の描写は現社地や周辺の形状に一致するとされる。特に文中では「即有美麗濱、以五色沙成修」とあるが、現在の長浜の浜辺も様々な色な小石から成り「五色浜」(ごしきはま)とも呼ばれている。このように、阿波命神社境内は古代神社の立地を現代に伝えるとされることから、境内は「神津島阿波命神社境域」として東京都指定史跡に指定されている。

 


社殿は昭和63年(1988年)の集中豪雨で倒壊した後、平成4年(1992年)に復元修理された。