伊古奈比咩命神社 歴史 創建

 


社伝(由緒書)によると、まず三嶋神は南方から海を渡って伊豆に至った。そして富士山の神・高天原の神から伊豆の地を授けられ、白浜に宮を築き、伊古奈比咩命を后に迎えた。さらに、見目・若宮・剣の御子の3柱や竜神・海神・雷神などとともに伊豆諸島の島焼き(造島)を行なった。島焼きによって、初島(はつしま)に始まり神津島(こうづしま)大島三宅島八丈島など合計10の島々を造り、自身は三宅島に宮を営んだ。その後しばらくして、白浜に還ったという。以上の伝承は、伊豆地方に伝わる縁起三宅記』(鎌倉時代末期と推定)に記載されるものである。同書では島焼き以前に白浜を宮としたかについては記載はないが、孝安天皇(第6代)元年に三嶋神は天竺から至り、孝安天皇21年から島焼きを行なったとする。




伊古奈比咩命神社の鎮座する火達山からは多くの祭器具が見つかっており、当地では古代から祭祀が行われていたものと推測される。また、上記『三宅記』に見えるように、三嶋神は伊豆府中の現在地以前には白浜にあったとされており、後述の天長9年(832年)記事の「神宮二院」の表現や、『延喜式神名帳の賀茂郡における三嶋神・伊古奈比咩命の登載はそれを示唆するものとされる。加えて『宴曲抄』(えんきょくしょう)「三島詣」や『矢田部氏系図』では、天平年間(729年-749年)頃の三嶋神の国府遷祀を伝える。伊古奈比咩命神社社誌では、これらを総合して、三嶋神は奈良時代頃に国府近くに新宮として勧請、その後元宮は衰退して治承4年(1180年)までには地位が逆転したとする。また、元宮の地については、伊古奈比咩命神社北西の神明(かみあけ)の地と推測されている(ただし、以上については異説もある)。