高座結御子神社 歴史 概史

 

国史では、『続日本後紀承和2年(836年)条において尾張国の日割御子神・孫若御子神・高座結御子神の熱田大神御児神3神を名神に列するという旨の記述がある。



延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では尾張国愛智郡(あいちぐん)に「高座結御子神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また『尾張国内神名帳』では「高蔵名神」または「高座明神」と記載されている。



元亀2年(1571年)の造営の際には織田信長からの寄進があったほか、江戸時代元和4年(1618年)には蜂須賀家政(はちすか いえまさ)による修理があり、また貞享3年(1686年)の江戸幕府による熱田神宮造営の際には当社にも修理のことがあった。



社殿は尾張造の丹塗りであったが、昭和20年(1945年)に戦災でほとんどを焼失、昭和38年(1963年)に焼失以前に準じる形態で再建された。