阿射加神社(小阿坂) 祀官

 


かつては菅原(すがわら)・梶原(かじわら)の2家が奉仕してきたが、享保年間(1716-36年)に梶原家は断絶し、明治に至って菅原家も世襲を離れたという。また、小寺山西蔵寺という別当寺も存したが、これも明治5年に無住のため廃された。更に西方約600m離れた東明山景徳寺(とうみょうざん けいとくじ)を奥の院としていたとの伝えもある。