廣田神社(西宮市) 歴史 ②
当初は甲山(かぶとやま)山麓の高隈原(たかくまはら)に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していた。戦後、その東側の現在地に移転した。明治4年(1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。伊弉諾神宮は1931年に列格)。かつて「向か津峰」(むかつみね)と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという。六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ。石の宝殿=現廣田神社の摂社)と六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられる。六甲比命神社は、インドの渡来僧法道(ほうどう)仙人によって大化の改新の頃に、付近の心経岩(しんぎょういわ)・雲ヶ岩(くもがいわ)とともに、唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺(きっしょういん たもんじ。本尊は毘沙門天・吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ))奥の院とされた。 六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残という。昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮(あらまつりのみや)の旧社殿を譲り受けて昭和31年に竣工したものである。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えた。
廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、行政区画では廣田神社が武庫郡(むこぐん)大社村(たいしゃむら)、戎社(えびすしゃ。現・西宮神社(にしのみやじんじゃ))が西宮町となり、現在は町村合併により西宮市に含まれている。えべっさんで有名な西宮神社は元は広田の摂社、浜南宮(はまなんぐう)で、西宮神社境内の南宮神社(なんぐうじんじゃ)がその原型といえる。