新屋坐天照御魂神社 祭神

 


『延喜式神名帳』には「新屋坐天照御魂神社 三座 並名神大。月次新嘗。就中天照御魂神一座預相嘗祭」と記載されており、3座中の1座が天照御魂神(あまてるみたまのかみ。天火明命(アメノホアカリ))であることが判明する。この「天照御魂神」ついては『日本三代実録貞観元年(859年)正月27日条に、「奉授…摂津国…従五位下勲八等新屋天照御魂神、並従四位下」とある。



また『日本三代実録』同年5月26日条には「摂津国従五位下伴馬立天照神伴酒着神、並授正五位下」とあるが、摂津国の「天照神」として知られるのは当社だけであり、天照御魂神は既に「従四位下」に叙されているわけなので、この「天照神」は残りの2座中の1座であり、「伴酒着神」が最後の1座であると推定できる。なお、それ以前、『続日本後紀嘉祥2年(849年)12月15日条に「奉授伴馬立天照神伴酒著神。從五位下」とあって、これは国名を欠くものの、神名と神階の両者から、当社の伴馬立天照・伴酒着2神に該当することが分かる。





すなわち、本来の当社祭神は


· 新屋(坐)天照御魂神

- 名神大社で月次新嘗相嘗祭に預る



· 伴馬立天照神

- 名神大社で月次・新嘗祭に預る



· 伴酒着神

- 名神大社で月次・新嘗祭に預る



であったと考えられている。




なお、神名の「天照御魂」から、本来は当地における太陽神信仰に基づく神社であったとの説がある。これは西福井の新屋坐天照御魂神社を中心に見ると、西河原・宿久庄はそれぞれ冬至における日の出日の入りの方角に位置し、逆に西河原から見ると西福井は夏至の日の入りの方角に、宿久庄から見ると夏至の日の出の方角にあたっているために、そこから太陽神信仰を導き出そうとするものであるが、太陽神信仰はともかくとして、3社の位置関係をその信仰に基づくものとする点は立証性に欠けるものである。