比売許曽神社 歴史
垂仁天皇2年7月、愛来目山(あくめやま。現在の天王寺区小橋町(おばせちょう)一帯の高台)に下照比売命を祀り、「高津天神」と称したことに始まると伝えられる。顕宗天皇(けんぞうてんのう)の時代に社殿が造営された。延喜式神名帳では名神大社に列し、新嘗・相嘗の奉幣に預ると記載されている。当社の境外末社・産湯稲荷神社(うぶゆいなりじんじゃ)がある地が旧鎮座地と推定されている。
天正年間、織田信長の石山本願寺攻めの兵火に遭って社殿を焼失した。社伝では、神体は焼失を免れ、摂社であった現在地の牛頭天王社内に遷座したと伝えているが、事実かどうかは不詳である。
天正以後は荒廃し、所在が不明となっていたが、天明8年(1788年)、ある者が比売許曽神社の旧記神宝を発見したと唱え、それに基づいて比売許曽神社の縁起が編纂され、牛頭天王社を式内・比売許曽神社に当て、下照比売命を祀ってこれを主祭神とした。『大阪府神社史資料』では、その縁起は「信ずべきものにあらず」と記している。
明治5年に村社に列した。