生國魂神社 概史 近代以降
明治維新後、明治4年(1871年)5月には近代社格制度において官幣大社に列した。明治の神仏分離に際して、神宮寺の真言宗志宜山(しぎさん)法案寺(ほうあんじ)は生國魂神社から分離されている。この法案寺(または法安寺)は寺伝で聖徳太子の建立とする寺院であったが、10院(生玉十坊)あったという塔頭は神仏分離の際に分かれ、そのうち南坊が島之内において「法案寺」の寺名・法燈を継承したほか、医王院(いおういん)・遍照院(へんじょういん)は生玉寺町の青蓮寺(しょうれんじ)に、観音院(かんのんいん)・新蔵院(しんぞういん)は上之宮町の正祐寺(しょうゆうじ)に、桜本坊は奈良県生駒市の円正寺(えんしょうじ)に、覚園院(かくおんいん)は生玉前町の宗恵院(そうけいいん)になった。また曼荼羅院(まんだらいん)は生玉町の持明院(じみょういん)と、地蔵院(じぞういん)は生玉町の藤次寺(とうじじ)と、持宝院(じほういん)は心斎橋筋の三津寺(みつでら)とそれぞれ併合されている。
1912年(明治45年)1月には「南の大火」により社殿を焼失し、1913年(大正2年)11月に再建された。しかし1945年(昭和20年)3月の第1回大阪大空襲により再び焼失し、1949年(昭和24年)7月に再建されるも、1950年(昭和25年)9月のジェーン台風で倒壊した。その後、1956年(昭和31年)4月に鉄筋コンクリート造で再建され、現在に至っている。