生國魂神社 概史 近世
天正11年(1583年)、豊臣秀吉が石山で大坂城の築城を始めると、生國魂神社および神宮寺の法案寺は現社地に遷座された。実際の遷座年について社伝では天正13年(1585年)の遷座とするが、『義演准后日記』(ぎえんじゅごうにっき)の記述によれば慶長3年(1598年)のことであったと推測される。また、秀吉からは社領として300石が寄進されたという。慶長11年(1606年)には、豊臣秀頼が片桐且元らに命じて社殿を造営させたが、『鹿苑日録』(ろくえんにちろく)ではその華麗さが記述されている。
江戸時代には、豊臣秀頼により造営された社殿が元和元年(1615年)の大阪夏の陣による兵火で焼失したが、江戸幕府により社殿は再興され、社領300石も安堵された。寛永-正保期(1624年-1648年)の「摂津国高帳」(せっつのくに たかちょう)によれば、その社領地は下難波村(しもなんばむら。現在の浪速区)にあった。また5代将軍徳川綱吉の生母である桂昌院(けいしょういん)は、黄金若干を当社に寄進したという。
『摂津名所図会』では、当時の境内の様子や走馬神事(そうめしんじ)の様子などが描かれている。
弘化2年(1845年)には、社殿の造替がなされた。