生國魂神社 概史 中世

 

中世頃の変遷は不詳。明応5年(1496年)には蓮如が石山御坊(いしやまごぼう。のちの石山本願寺)を築くが、『天文日記』(てんぶんにっき)等によれば、この石山御坊は生玉社に隣接して建てられたとされる。



『天文日記』によれば、天文(てんぶん、てんもん)12年(1543年)には普請(ふしん)として生玉の畑地に「土井」が、天文13年(1544年)には「生玉屋敷」の堀が築かれた。また、天文15年(1546年)には本願寺により大規模な遷宮祭が実施され、本願寺から神官吉田方には太刀500振が贈られている。当社は本願寺の鎮守のような位置づけにあったが、織田信長と本願寺との間で石山合戦が起こると、天正8年(1580年)の兵火で社殿は焼失した。