大依羅神社 合祀神社について

 


大依羅神社には、明治40年(1911年)11月1日に近隣の草津大歳神社(旧村社)、我孫子神社(あびこじんじゃ。旧村社)、奴能太比売神社(旧無格社)、山内神社(やまうちじんじゃ。旧村社)、道祖神社(どうそじんじゃ。旧無格社)の5社が合祀されている。このうち次の草津大歳神社・奴能太比売神社の2社は式内社になる。

 

 


l 草津大歳神社

 

「くさつおおとしじんじゃ」。元は庭井村大字苅田字苅田に鎮座した。


『延喜式』神名帳の摂津国住吉郡の「草津大歳神社 鍬靫」、および『住吉大社神代記』における住吉神御子神の赤留比売命神(アカルヒメ)の分注に「中臣須牟地神 草津神」と記載されるうちの「草津神」に比定される(両神は赤留比売命神社の祭祀に関与した神々か)。神名帳の「鍬靫」(くわうつぼ)の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。明治期には旧村社に列していたが、のち大依羅神社に合祀された。


ただし神名帳の「草津大歳神社」については、他の比定論社として住吉大社境外末社の大歳社とする説もある(『式内社調査報告』では苅田の旧草津大歳神社の方を有力視)。

 

 

 


l 奴能太比売神社

 

「ぬのたひめじんじゃ」。元は杉本村字奴能太に鎮座したというが、その位置は現在では詳らかでない。


『延喜式』神名帳の摂津国住吉郡の「努能太比売命神社」、および『住吉大社神代記』における住吉神御子神の「奴能太比売神」に比定される。神名は「野の田」の神を意味するとする説がある。明治期には小祠として残存し、明治5年(1872年)に旧無格社に列していたが、のち大依羅神社に合祀された。