大依羅神社 概史 中世・近世
中世には依網氏の衰退とともに社勢が衰え、社務は神宮寺の大聖観音寺(たいしょうかんのんじ。不動院)別当が担うようになったという。
近世の『和漢三才図会』では、「依納大明神」は「吾孫子村」(あびこむら。我孫子村)に在り、別当は不動院で、祭神は未詳と記されている。『住吉松葉大記』(すみよしまつばたいき)の記述によれば、当時には社勢の衰微が甚だしい様子がうかがえ、住吉社の援助でようやく存続していたものと推測される。また、万治2年(1659年)には社殿造替のことがあった。