葛木水分神社 歴史 概史

 


創建は不詳。



国史では、承和7年(840年)に「水分神」の神階が無位から従五位下に昇叙された旨の記載がある。また天安3年(859年)1月には「葛木水分神」の神階が従五位下から正五位下に昇叙された旨のほか、同年(貞観元年)9月に葛木水分神ほか諸神に対して風雨祈願の奉幣の遣使があったと見える。



延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では大和国葛上郡に「葛木水分神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭新嘗祭に際しては幣帛に預かった旨が記載されている。『延喜式』では祈年祭条・祈雨祭条においても当社の記載があり、祈年祭では官幣に加え馬1匹を加える旨が定められているが、名神祭条に記載はない。また『延喜式』祈年祭祝詞等では、上述の水分四社の1つとして記載されている。



その後の変遷は不詳。江戸時代元禄年間(1688年-1704年)には大和国・河内国間で境水論争があり、元禄15年5月銘の石灯籠は勝訴祈念で奉納されたものと伝えるほか、現在の例祭日は勝訴決裁日(元禄15年12月20日)に因んだものと推測される。



明治維新後、近代社格制度では村社に列している。