葛城一言主神社 祭神 

 


祭神は次の2柱。


· 葛城之一言主大神

(かつらぎのひとことぬしのおおかみ)

 - 主神。


· 幼武尊(わかたけるのみこと)

 - 第21代雄略天皇。

 



明治の『神社明細帳』では事代主命・幼武尊の2柱とするが、『大和志料』(やまとしりょう)では一言主神に雄略天皇の配祀とする。『延喜式神名帳での祭神は1座で、同帳に「葛木坐一言主神社」と見えるように元々は一言主神1柱を祀った神社とされる。この一言主神は『古事記』等では「一言主」、『日本書紀』では「一事主」、『日本霊異記(にほんりょういき)では「一語主」とも表記される。凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神とされ、現在も一言で願いを叶えてくれる神として信仰されている。記紀に系譜は記されていないが、『先代旧事本紀』では一言主神を素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子とする。



この一言主神に関しては、『日本書紀』『古事記』における雄略天皇との対面説話が知られる。両書によれば、雄略天皇が葛城山中で狩猟をしていた際、天皇と同じ姿の一言主神(一事主神)が現れ、天皇と狩猟を競ったという。ただし、『古事記』では天皇が大御刀・弓矢・百干の衣服を神に献じて拝礼したとして一言主神の方が優位に記述されている一方、『日本書紀』では天皇が物を献じることはなく一言主神と天皇が対等に近い立場で記述されている。『古事記』の方が原初的と見られることから、『古事記』の説話は一言主神の奉斎氏族とされる葛城氏が皇室外戚として強い勢力を持った頃の政治情勢を反映したもので、『日本書紀』の説話は葛城氏(かつらぎうじ、かずらきうじ)勢力が衰えて一言主神の地位も低下した頃の情勢を表すと考えられている。