葛木御歳神社 歴史 概史
創建は不詳。神体山とする御歳山(みとしやま、三歳山)北麓に鎮座する。
『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒によると、当時の「御歳神」には神戸が13戸あり、うち天平神護元年(765年)に大和国から3戸、讃岐国から10戸が充てられたという。
国史では、仁寿2年(852年)に「御歳神」の神階が従二位、のち正二位に進められた旨のほか、天安3年(859年)には従一位に昇叙されたことが記されている。また貞観12年(870年)には、河内国に堤防を築くに際し洪水を避けるため、水源の大和国の三歳神ほか大和神(大和神社。おおやまとじんじゃ)・広瀬神(廣瀬大社)・竜田神(龍田大社)に祈願の奉幣があった。
神職に関しては、『新撰姓氏録』において大和国内に「三歳祝」の記載があり、同氏を大物主神五世孫の意富太多根子命(大田田根子命。おおたたねこのみこと)の後裔と記載する。ただし『日本三代実録』貞観8年(866年)条には、三歳神には古くから神主が無かったため新たにこれを置いたが、祟りがあったため停止したとある。この両書の記述の解釈は明らかでない。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国葛上郡(かつじょうぐん)に「葛木御歳神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭に際しては幣帛に預かった旨が記載されている。なお、同帳では大和国高市郡にも「御歳神社」の記載がある。
平治(へいじ)元年(1159年)9月2日の「大和国目代下知状案」では「大三歳社」と見える。その後の変遷は不詳。
明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において郷社に列した。