木幡の許波多神社

 


社伝では、大化元年(645年)、皇極天皇が夢で「吾れ天神故に下土に神陵なし吾が霊を祭祀し給へ」とのお告げを受け、中臣鎌足に命じ木幡荘に社殿を造営させたと伝えられる。壬申の乱を前に大海人皇子が大津宮から吉野に向かう際、社頭に柳の枝を挿して「我に天位を践まば、この柳、芽を出すべし」と戦勝を祈願した。大海人皇子が即位すると柳の枝が芽を出したことから、天皇は霊験を賛えて「柳大明神」の名を贈り、社領を寄進したという。



明治41年(1908年)に旧河原村の田中神社を合祀したため、同社の祭神であった天照大御神(あまてらすおおみかみ)天津日子根命(あまつひこねのみこと)も祭神としている。



境内には「狐塚」(きつねづか)と呼ばれる宇治陵第36号墳墓があり、藤原基経(ふじわらの もとつね)の墓と伝えられている。