向日神社 由緒
元々は、同じ向日山(むこうやま)に鎮座する「向神社」(むこうじんじゃ。上ノ社)「火雷神社」(からいじんじゃ/ほのいかづちじんじゃ。下ノ社)という別の神社だった。いずれも延喜式神名帳に現れる古社で、「火雷神社」については名神大社「乙訓坐火雷神社(乙訓神社)」(おとくににいますからいじんじゃ/おとくにじんじゃ))の論社である(他の論社は長岡京市の角宮神社(すみのみやじんじゃ))。
向神社は御歳神(みとしのかみ。向日神(むかいのかみ))が向日山にとどまり、稲作を奨励したことに始まるという。また火雷神社は神武天皇が大和国橿原から山城国へ遷った際、当地に火雷神を祀ったことに始まると伝える。
火雷神社は養老2年(718年)の社殿新築にあたり玉依姫命と神武天皇を合祀したが、中世に至ると衰微、建治(けんじ)元年(1275年)には向神社が併祭することとなり、向日神社と社名を改めて今日に至っている。