洲崎神社 概史 江戸時代
文化9年(1812年)、房総沿岸を視察した筆頭老中 松平定信が「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納した。江戸時代に一宮とされた根拠はこの扁額であるが、「安房一宮 洲崎大明神」となっており、断定できない。これをもって一宮としたのは、昭和13年(1938年)に来房した栃木県の郷土史研究家であり、どの書物にも正式に一宮と記載された歴史はない。『館山市史』では、洲崎神社を一宮としたのは西岬に一宮道があったことによる誤りではないかと述べている。
江戸時代までは別当養老寺が洲崎神社を支配し、これが明治元年(1868年)に神仏分離令が出されるまで続いた。