座摩神 歴史 概史

 

古くは『続日本紀』において天平9年(737年)に「坐摩御巫」が爵を賜ったと見える。また、前述のように大同2年(807年)編纂の『古語拾遺』で記述が見えるほか、貞観元年(859年)には同じく宮中奉斎の櫛石窓神(くしいわまどのかみ)・豊石窓神(とよいわまどのかみ)・生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)とともに神階を従四位上に叙せられている。

 

 

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では、宮中神36座のうちに「座摩巫祭神五座 並大 月次新嘗」として、大社に列するとともに月次祭新嘗祭では幣帛に預る旨が記されている。

 

 

座摩神含む神祇官の祭祀は中世には衰退するが、南北朝時代までは古代の形が維持されていた。しかしながら、その後応仁の乱頃までには完全に廃絶したとされる。