座摩神 概要

 

平安時代の宮中(平安京大内裏)では、神祇官西院において「御巫(みかんなぎ)」と称される女性神職、具体的には大御巫(おおみかんなぎ)2人(のち3人)・座摩巫1人・御門巫(みかどのみかんなぎ)1人・生島巫(いくしまのみかんなぎ)1人により重要な神々が奉斎されていた。座摩神はそれらのうち座摩巫(いかすりのみかんなぎ、坐摩巫)によって祀られた神々である。

 

 

「いかすり」は「居処領(いかしり)」または「居所知(いかしり)」の転と見られ、総じて宮所守護の神々とされる。生井神・福井神・綱長井神は井戸の神々であるが、井泉をもって宮殿の象徴とする様は『万葉集』の「藤原宮御井歌」(ふじわらのみやのみいのうた)にも見える。波比祇神・阿須波神については具体的には明らかでないが、宮中の敷地を守る神々とされる。『古語拾遺』では、これら座摩神を「大宮地の霊(おおみやどころのみたま)」と記している。

 

 

神祇官西院では、最重要視される大御巫8神は八神殿(はっしんでん)に東向きで祀られていたが、他の座摩巫5神・御門巫8神・生島巫2神は北庁内に南向きで祀られたと見られる。座摩神について『延喜式』では祈年祭祝詞・六月月次祭祝詞・神名帳に記述が見えるが、いずれも大御巫8神に次ぐ2番目に位置づけられている。また『延喜式』臨時祭の御巫条・座摩巫条によると、他の御巫は庶民から選んで良かったのに対して、座摩巫だけは都下国造一族の7歳以上の女子から選ぶと規定されている。