坐摩神社(大阪市) 歴史 渡辺津の守護神
創建時の社地は現在と異なり、渡辺津(わたなべのつ)・窪津(くぼつ)・大江(おおえ)などと呼ばれたかつての淀川河口である。旧社地は遷座後に御旅所が置かれた現在の中央区石町(こくまち)に推定され、天神橋(てんじんばし) - 天満橋(てんまばし)間の南、近世以降「八軒家」(はちけんや)と呼ばれる地に概ね該当する。なお、石町には摂津国の国府も置かれており、町名は国府の転訛と言われている。平安時代後期には源融(みなもと の とおる)にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱。わたなべ の つな)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こした。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となる。
渡辺津は窪津(くぼつ)ともよばれ、京からの船が着く熊野古道の基点でもあった。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」(くまのくじゅうくおうじ)のうち、最初の「窪津王子」(くぼつおうじ)はこの坐摩神社行宮の場所にあったと思われる。