土佐神社 祭神 祭神について ①
土佐神社の祭神は、古くは『日本書紀』天武天皇4年(675年)条や朱鳥(しゅちょう/すちょう/あかみとり)元年(686年)条で「土左大神」として、地方神としては珍しく「大神」の称号を付して記載された。この土左大神の祭祀には、在地豪族の都佐国造(とさのくにのみやつこ/とさこくぞう。土佐国造)があたったと考えられている。
710年代から720年代の成立になる『土佐国風土記』の逸文(他書に引用された断片文)では、
土左の郡。郡家の西のかた去(ゆ)くこと四里に土左の高賀茂の大社(おほやしろ)あり。その神の名(みな)を一言主の尊(みこと)とせり。その祖(みおや)は詳かにあらず。一説(あるつたへ)に曰はく、大穴六道の尊(おほあなむちのみこと)の子、味鉏高彦根の尊なりといふ。
— 『釈日本紀』所引『土佐国風土記』逸文
とあり、この頃には人格神として一言主説・味鋤高彦根説が存在した。この一言主・味鋤高彦根とも、大和葛城地方(現・奈良県 御所(ごせ)市周辺)で賀茂氏(かもうじ)が奉斎した神々とされる。なお『土佐国風土記』の別の逸文では、土左大神には御子神として天河命(あまのかわのみこと)が、さらに天河命には娘神として浄川媛命(きよかわひめのみこと)があると記されている。これら天河命・浄川媛命については、式内社の葛木男神社(かつらきおじんじゃ/かずらきのおじんじゃ)・葛木咩神社(かつらきひめじんじゃ)に比定する説がある(葛木咩神社は現在は葛木男神社に合祀)。