田村神社(高松市) 歴史 概史

 

朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々神階の授与が行われている。また延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され名神大社に列したほか、讃岐国一宮として信仰された。建仁元年(1201年)には正一位の昇叙があったとされ、弘安7年(1284年)7月日の銘を有する「正一位田村大明神」の扁額が残っている。

 

 

また武家からも崇敬・統制を受け、長禄4年(1460年)には細川勝元により、社殿造営や寄進のほか「讃岐国一宮田村大社壁書」(高松市指定文化財)が定められた。これは当社の関係者に対し、守るべき事項を26箇条で記したものである。

 

 

天正年間(1573年-1592年)には兵火により一切経蔵を焼失したが、仙石秀久(せんごく ひでひさ)から社領100石を寄進された。その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家(まつだいらだいぜんけ)に代わったのちも祈願所として崇敬された。

 

 

延宝7年(1679年)、高松藩主であった松平氏により一宮寺が分割され、後に一宮寺は別の地に移された。

 

 

明治4年(1871年)、近代社格制度において国幣中社に列した。