吉備津彦命 墓・霊廟

 

吉備津彦命の墓は、宮内庁により岡山県岡山市北区 吉備津(きびつ)にある大吉備津彦命墓(おおきびつひこのみことのはか)に治定されている。公式形式は前方後円。考古学名は「中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)で、吉備の中山の山上に位置する墳丘長108メートルの前方後円墳である。

 

 

また、吉備の中山の麓の吉備津神社きびつじんじゃ。岡山県岡山市、備中国一宮)は、国史にも見える吉備津彦命の霊廟として知られる。同社の国史での初見は『続日本後紀承和14年(847年)10月22日条で、「吉備津彦命神」に対して従四位下の神階が授けられたというが、のちに神階は位階いかい。○位)から品位ほんい。○品)へと変わり、貞観元年(859年)1月27日に二品まで昇っている。品位(一般には親王に対する位)を神階に使用する例は少なく、全国でも吉備津彦命のほか八幡神(やはたのかみ)・八幡比咩神(やはたのひめのかみ)大分県宇佐市宇佐神宮(うさじんぐう))、伊佐奈岐命(いざなぎのみこと。兵庫県淡路市伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう))の4神のみで、吉備津彦命と一般諸神との神格の違いが指摘される。この吉備津神社社伝では、吉備津彦命は吉備の中山の麓に茅葺宮(かやぶきのみや)を建てて住み、281歳で亡くなり山頂に葬られたという。

 

 

以上の吉備津神社の存在から、吉備津彦命が古くは「吉備政権」構成諸部族から始祖に位置づけられたとする説もある。また吉備の中山の北東麓では、同じく吉備津彦命を祀る吉備津彦神社きびつひこじんじゃ。岡山県岡山市、備前国一宮)が知られる。