吉備津神社(備中国一宮) 境内 本殿及び拝殿
本殿・拝殿は、室町時代の明徳(めいとく)元年(1390年)、後光厳天皇(ごこうごんてんのう)の命で室町幕府3代将軍の足利義満が応永12年(1405年)再建し、応永32年(1425年)に遷座した。比翼入母屋造の本殿の手前に切妻造、平入りの拝殿が接続する。比翼入母屋造とは、入母屋造の屋根を前後に2つ並べた屋根形式で、「吉備津造」ともいう。
本殿の大きさは、出雲大社本殿、八坂神社本殿に匹敵するもので、随所に仏教建築の影響がみられる。地面より一段高く、漆喰塗の土壇(どだん。亀腹(かめばら))の上に建ち、平面は桁行正面五間、背面七間、梁間八間で、屋根は檜皮葺とする。内部は中央に閉鎖的な内々陣(ないないじん)とその手前の内陣(ないじん)があり、その周囲を一段低い中陣(ちゅうじん)とし、中陣の手前はさらに一段低い朱の壇(あけのだん)とし、これらの周囲にさらに低い外陣(げじん)が一周する。このように、外側から内側へ向けて徐々に床高を高くする特異な構造である。壁面上半には神社には珍しい連子窓(れんじまど)をめぐらす。挿肘木(さしひじき)、皿斗(さらと)、虹梁(こうりょう)の形状など、神社本殿に大仏様(だいぶつよう)を応用した唯一の例とされる。
拝殿は本殿と同時に造営され、桁行(側面)三間、梁間(正面)一間妻入りで、正面は切妻造、背面は本殿に接続。正面と側面には裳階(もこし)を設ける。屋根は本殿と同じく檜皮葺だが、裳階は本瓦葺きとする。これら本殿・拝殿は、合わせて1棟として国宝に指定されている。