中山神社 歴史 概史
国史では、貞観2年(860年)に「中山神」の神階が従四位下に昇叙された記事のほか、貞観6年(864年)に官社に列し、貞観7年(865年)に従三位、貞観17年(875年)に正三位に昇叙された旨が記されている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では美作国 苫東郡(とまひがしぐん)に「中山神社 名神大」と記載され、美作国では唯一の名神大社に列している。また、中世からは美作国の一宮として崇敬された。
天文2年(1533年)、尼子晴久の美作攻めの際、境内に陣を置く敵を攻略するために火が放たれ、社殿が焼失した。美作平定後の永禄2年(1559年)、晴久自身によって再建された。
明治4年に近代社格制度において国幣中社に列し、第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。