水若酢神社 歴史 概史 古代

 

国史では、『続日本後紀承和9年(842年)条において、由良比売命神(西ノ島由良比女神社(ゆらひめじんじゃ))・宇受加命神(中ノ島宇受賀命神社(うずかみことじんじゃ))・水若酢命神(水若酢神社)の3社が官社に預かる旨が記されている。

 

 

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では隠岐国穏地郡に「水若酢命神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。『延喜式』臨時祭の名神祭条でも「水若酢命神社一座」とある。平安時代中期の『和名抄(わみょうしょう。倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう))に見える地名のうちでは、当地は穏地郡河内郷(かむちごう)に比定される。その後は15世紀まで当社のことを記す史料が見つかっておらず、変遷は不詳。